長靴日記9

長靴日記9 名前: ゴム長婦人 [2007/09/05,19:33:32] No.180 返信
最後の水溜りを抜けて玄関のポーチに立った律子は恐る恐る玄関のドアを開けた。まさかとは思ったがひょっとしたら母が帰ってきてるかもしれないと思ったからだがそれは杞憂に終わった。玄関には母のゴム長もあの黒いコートも無くさっき律子が出行ったときとなんら変化はなかった。律子は合羽を脱ぐと先ほどの様に元の場所に掛けゴム長も出掛ける前にあったと思える場所に置いたが廊下に上がると濡れた足跡が付き始めたので雑巾を持ってきてそれを拭き取りながら浴室へ向かった。上着がそれほど濡れていないことに気づき安心した律子は浴室へ入るとシャワーだけを浴びて軽く体を拭いて腕の匂いを嗅いだ。こんどはあの匂い、大好きになったゴムの匂いが嗅いで取れた事に律子は安心して浴室を出た。素早く着替えてボイラーのスイッチを切ったところで電話のベルがなった。誰だろうと思いながらも「はいもしもし」と受話器をあてた律子の耳に「あっ、律子、お母さんやけどね、雨が今物凄い降り方で降ってるでしょ。ちょっと歩くこともできんから少し雨が弱くなるまで待って帰るから心配せんと待とって」「わかったけどお母さん今どこにおるが」「今、オリオンにいるげんけどオリオンの玄関のすぐそばも水に浸かとんげんわいね。今もう駅の前の道も川みたいになっとんがや」「へぇーそんなに酷いがんやったら私心配や」「大丈夫や、家は水に浸かる事は無いげんさかいに。兎に角お母さんは心配しなくてもいいからちゃんと家にいまっし。絶対に外へ出たらあかんよ」「うん、わかとる。お母さんも気つけてね」「はい、わかった。ありがとう」そう言って電話はきれたが急に不安を覚えた律子は外の様子を見るのに二階へ上がり窓の外を見てその不安が増加した。まだ夕方前だというのに外は日暮れ直前の様に暗くなりまるで空の底が抜けたのではないかと思うほどの勢いで雨が降っていた。今まで気づかなかった雨が屋根を激しくたたく音も聞こえる様になってきた。さっきはシャワーを浴びていたから聞こえなかったのだ。再び1階に下り律子は居間でTVのスイッチを入れたが律子が気を引く番組はなくただTVをつけているだけの状態で気もそぞろな状態が1時間ぐらい過ぎたとき玄関のチャイムが鳴った。律子が弾かれた様にたちあがり玄関へ行くのと同時に玄関のドアが開き頭から水が滴りおちる状態で全身黒尽くめの母が入ってきたが、律子はそれが母だと判るまで数秒を要したぐらいの姿だった。それでも母は開口一番「ただいま、あー凄い雨やった」といって玄関のたたきに立った。「ふう〜」と一息つくとくるりと背を向けて「律子、お母さんの背中のリュック下ろすの手伝って」といって肩をゆすり始めたが律子には見たことも無いリュックサックでその大きさも子供が背負うものではなかった。肩からずり落ちるリュックを両手で持ちながら「お母さん、このリュックどうしたん」と聞くと「これも去年買った、雨やら雪があたっても中は全然濡れんリュックサックや。」「中が全然濡れんが、すごい」律子は驚きながらもリュックを両手に持つとずっしりと重みを感じるそのリュックを床に置いたがその部分だけがリュックから滴り落ちる水滴で濡れた。肩が軽くなった母はそんなことは全く気に留める様子もなく背中を向けたまま玄関ドアを開けようと足を前に出したがその瞬間母のゴム長からグチュグチュと音がすると同時に履き口と脹脛の隙間から水が溢れ出てきた。「またお母さんの長靴中まで水が入ってドボドボやと律子に背中をむけたまま言うと開いた玄関ドアの枠につかまりながらゴム長を脱ぎ始めた。片方づつ脱ぐのかと思っていたが母は両足とも脱ぎ素足のままでたたきに立った。片方のゴム長は脱いだ拍子に倒れてそこからはダクダクと水が流れ出しもう片方は母が手にして逆さにして水をだしたがその勢いにも律子は驚いた。最後に母は左右両方を片手に持つと筒の部分を空いているほうの手でポンポンと水を切る仕草してクルリと律子のほうへ向き素足のままたたきを歩いてそのゴム長を隅に置くと「律子、足とリュック拭くから雑巾持ってきて、それからついでにお風呂のスイッチ入れてきて」と言ったので律子はいわれ通りに風呂のスイッチを入れ雑巾をもってきた。「ありがとう」母いつもの微笑みを律子に返したが律子に何か頼んでも必ずありがとうという母が律子は好きだった。雑巾を持って戻ってきたとき母は既にコートを脱いでいたがそのコートからもまだ水滴が落ちていた。「ああ、今度は服も着替えんとあかんわ」そう言う母の言葉にそう言えばお母さんさっきから服を着替えていなかったんやわと改めて律子は思ったが先読みしたかのように母は「こんな日に開け鍋に服着替えてもしょうがないやろ」と下校途中と同じ事を言った。そして見事な脚線美の足とリュックそして床を拭くとそのリュックを持って「さっ、律子新しい長靴買ってきたよ」といいながらキッチンの方へ歩いていき律子にも促したがそれを言われて律子は思い出した。「ああ、ほやったお母さん新しい長靴こうてくれるんやった」「どこ、リュックの中」「そうよ、下に入っているよ。上に他に買い物したもんがはいいてるから順番にちゃんとだしまっしね」「うん、わかってる」そういいながら律子はリュックに手を掛けたがその大きさに改めて驚いた。そして3重に閉められた蓋を開ける前にリュックを持ち上げて驚いた。「母はこんなに重たいものを背負ってこの大雨の中を歩いてきたんだ」と母の凄さと強さに驚いた律子だった。リュックの上に入っている食料品などを丁寧に取り出してゆくと下に箱があった。もう何も無いので箱を両手で掴むと引きづり出すようにして引っ張り出した。「どんな長靴だろう」律子は目をつぶりながら箱を開けて目を開いた。ゴム長を覆っているパラフィン紙を捲るとそこにはテカテカと艶を放った真っ白い寸長のゴム長が入っていた。両方を取り出してテーブルの上に置いて母の方を見たが母は既に風呂に入っていた。今履いているゴム長と同じヒールはない平底だが早速履いてみると今履いているゴム長より更に長い事が判った。その丈の長さは律子の膝下ギリギリのところまであった。それを認めた律子は「ひょっとしたらお母さんの長靴と同じ長さかもしれない」と思いいそいそ玄関へ向かい土間に置いてある母のゴム長の横に置いてみたがそれはすぐさま失望と羨望の入り混じった気持ちに変わった。「やはりお母さんの長靴にはかなわない」そう思って腰を上げるといつの間にか風呂から上がった母が「律子その長靴おかあさんの長靴と同じ位の長さあるとおもたんやろ。残念でした。まだお母さんの長靴の方が長いわいね」そういいながら悪戯っぽい笑みを律子に向けてたっていた。「うん、ちょっと残念や」「気持ちはわかるけどちょっとこっち来てお母さんと並んでみまっし」並んだ律子の足を見ながら「ほら、まだお母さんの方が身長も高いし足の長さも長いやろ。お母さんの膝は律子の太ももぐらいにあるやろ。まだもうちょっとやな。律子が高校生位になったらお母さんよりも背が高くなるかもしれんからそうなったらもっと長い長靴はけるわね」「う〜んそっか」律子も母に笑いながら答えたがその時二人がいる玄関にあの匂い、ゴムの匂いが漂っているのに律子は気づき「玄関ゴムの匂いで一杯やね」と言った。
「ほやね、お母さんと律子の長靴が3足と合羽が2つもあるんやからゴムの匂いで一杯なるね」「お母さんはこの匂いなんともおもわんが」律子の切り返しに躊躇すると思っていた母は臆することなく「お母さんもこの匂い好きやよ」と言い続けて「ほら、お母さんも長靴履いたときは水溜りでも平気で歩くのが好きやって言ったがいね。ほれは長靴履くが好きやって事やし、長靴が好きやって事はゴムの匂いも好きやってことやさかいにね」。数年経って律子はそのときの母の言葉がその時の律子に対する精一杯の告白であった様に思えた。そしてこの日風呂上がりだったはずの母の体からは石鹸の匂いではなくあの芳しい匂いが発散されていたことも不思議であったがそれも今にして思えば今自分の夫に対して行っている歓迎、夫を迎え入れる為の準備となんら変わりが無い事と思った。事実その夜母は服こそ半そでのワンピースに着替えたが父を駅まで迎えに行くのに小降りになったとはいえ降りしきる雨の中を全く乾いていないゴム長に足を入れて三度出掛けていったのである。帰り着いた二人は本当にずぶ濡れ状態で母は今日何目になるか判らないゴム長の浸水を繰り返し玄関でゴム長に溜まってしまった水をだしていた。そしてつかの間の家族の団欒が終る頃になって母は靴の乾燥機を持ち出して自分の黒光りするゴム長、隣に律子のゴム長、そして居間に布団乾燥機を出して父のゴム長をそれぞれ乾かしだしたがそれも律子が寝静まってからの行為の序曲だったのである。